市制施行40周年記念対談

 

ページ番号1003660  更新日 平成28年7月28日 印刷 

市制施行40周年の年に5人の市民の方に「夢かなう市政を」語っていただきました。

対談者の紹介

太田泰之さん(30代男性) 会社代表、福生青年会議所監事、福生市商工会青年部部長
内堀博美さん(20代女性) 会社員、平成19年度の成人式実行委員
島田しのぶさん(50代女性) 国際ソロプチミストあきる野会長、あきる野市社会福祉協議会評議委員、人権擁護委員
坂本丁次さん(70代男性) ジャーナリスト、元東京新聞記者
内堀智美さん(20代女性) 会社員、平成19年度の成人式実行委員

司会 福島企画財政部長

写真:左から太田泰之さん、内堀博美さん、加藤市長、島田しのぶさん、坂本丁次さん、内堀智美さん
左から太田泰之さん、内堀博美さん、加藤市長、島田しのぶさん、坂本丁次さん、内堀智美さん

市制施行40周年記念対談「夢かなう市政を」

司会 今年は市の総合計画第4期のスタートの年でもあることから、市長には、これからのまちづくりや市政運営についての想いをお聞かせください。

写真:加藤市長
加藤市長

市長 私は福生で生まれ育ちましたが、PTA活動をするうちに福生のために何かをしたいという想いで、議員を経た後、石川元市長、野澤前市長の想いを引き継ぐ形で、市長に就任させていただきました。
第4期総合計画の目指す都市像は「このまちが好き 夢かなうまち 福生」ですが、市民目線で語っている言葉です。今回の総合計画、特に基本構想は市民の皆さんによる市民会議提言を参考に策定されたもので、そこには市民と行政が一緒になって、福生として自立して発展していきたいという想いがあり、このような目標の言葉になったのではないかと思います。
そして、いろいろな発信がこの言葉の中に込められていて、私のマニフェストである「五つの元気」にも当てはまってくるものと理解しています。「五つの元気」は、まだ道半ばですが、市民の皆さんからご提案やご意見をいただき、市政に参加していただく中で、このまちを一緒に発展させ、皆さんが本当に住んでよかったと思えるまちにしたいと思っております。よろしくお願いします。

司会 今、市長からお話がありましたように、今回の総合計画には「福生らしさ」、「市民とともに」という2つのポイントがあります。まず皆さんが考える「福生らしさ」について、お話をいただければと思います。

福生らしさ

横田基地のあるまち

太田 地方に行くとどうしても福生の知名度は低いのですが、横田基地があるというと「知っている」と言われます。どうしても横田基地は切っても切り離せないと思います。
島田 「基地はあって当たり前だと思っているから、良いか悪いかという議論にはならないように思う。すでに自分たち、福生の文化に融け込んでいる。」という考えの若者が私の周りには多いですね。
内堀(智) そうですね。あって当たり前の感じなので、確かに良いか悪いかといわれても・・七夕まつりで米軍の演奏に感動したり、小学校の演劇で基地の子どもたちといろいろな話をしたりとか、楽しい思い出があるので、私にはプラスになっています。
坂本 福生が市になった当時、石川常太郎さんが初代市長で、その名刺には「横田基地所在地」と大きく書いてありました。市の職員の名刺も同様でした。国の補助金といった面もあったのでしょう。基地を売りものにするっていうのは悪いことではないと、私は思いますね。基地があることを利用して、プラスにした方が得ではないかと感じます。
太田 昭島などに仕事で長い時間いると、飛行機の離発着の音がうるさいですね。すごい騒音です。福生ではあまり感じないのですが。
坂本 戦闘機がないだけでも助かりますね。今はほかの基地に移りましたが、横田に戦闘機があるときは騒音が大変でした。
島田 瑞穂のエコパークにドッグランがあって、真上を飛行機が通り、手が届きそうだし、機体の金属音まで聞こえます。それが毎日となるときついだろうなって思う。でも世代によって感覚は違ってきていると思います。
市長 「福生らしさ」ということで横田基地の話題が出ましたが、基地には騒音、テロの問題、まちの発展の阻害などさまざまな問題がありますので、基地はないに越したことはないわけです。また、基地に対してはいろいろな意見があるのも事実です。しかし、国の防衛政策上、基地が福生にある以上、皆さんが言われたとおり、いろいろな面で活用しなくてはならないと思います。もちろん、これ以上の基地機能の増大は容認はできませんので、国に対しては、今後も市民の方や議会の声を届けるとともに、安全で安心なまちづくりを進めていきます。

コミュニティ、人が大切

島田 最近の子どもたちは、外で遊ぶことが少なくなっていると感じます。高校になるとほとんどが市外に通いますので、福生で遊ぶ時期も中学までで、その間に地べたを歩いて、空を見て福生を感じてほしいなと思う。その上で、福生を語って、想ってもらいたいと思います。

写真:内堀智美さん
内堀智美さん

内堀(智) 私たちの子どものころは、田園児童館に毎日遊びに行っていました。
市長 内堀さん姉妹はどこの町会・自治会ですか。
内堀(博・智) 熊牛町会です。神輿会にも入っています。
内堀(智) 熊牛町会は参加率が高く、私たちの代がかなり参加しています。ほたる祭りでの福生三中の生徒の模擬店も私たちの代から始まって、今も引き継がれています。
市長 まちが元気になるというのは、おじいさんおばあさん、子どもさんの年代がいかに交流できるかにかかっていると思うんですよ。それには、町会・自治会って一番大事ですね。
内堀(博) 大事ですね。市だと大きいのでまず地区から。今は、町会に参加する人が本当に少なくなってきています。辞める方が多いので、辞める率を少なくすることが第一です。町会ごとに団結すれば、隣同士も仲良くなるし、町会が大事だって、すごく思いますね。
島田 コミュニティが大切ってことですね。
坂本 私は福生というのは、基地だけでもっているのは寂しい気がします。市の総合計画にもあるように、芸術・文化・スポーツ振興に関心があります。芸術文化では、福生に交響楽団を実現して欲しい。オーケストラですよね。いろいろな音楽祭もありますが、オーケストラが音楽の分野を引っ張って行くんじゃないかと思います。
スポーツの振興にしても、加藤市長、隣接の並木羽村市長、臼井あきる野市長も、大学時代にみんな野球をやっていたのでいまがチャンスなんです。野球でもサッカーのチームでもいいので、何か話題になるようなスポーツチームがあるとよいですね。
市長 総合的な、ある意味まちおこしの分野も含めて、野球だけでなくてサッカーとか、ハンドボールとか体操とか、いろいろな形でクラブチームが多くの地方にあります。そういうのを福生だけの単独ではできませんが、この西多摩全域、広域行政圏みたいな形で、西多摩の大きなものができたら面白いと思っているんですよ。

市民とともに

商店・市民の七夕まつり

写真:坂本丁次さん
坂本丁次さん

司会 それでは、もう一つのテーマであります「市民とともに」についてお話をいただきたいと思います。福生といえば七夕まつりと言われています。坂本さんは、七夕まつりの創成期のころとか、いろいろとご存知だと思いますが。
坂本 そうですね。私が福生に来た時は50年以上前だから、まだ七夕まつりが一ケタの時で、福生にはほかに名物がないので、なんとかこれを育てようということで、いろいろ考えました。
元々七夕まつりは商店のまつりですが、市民まつりふうにした方が長続きするのではないかっていうことになりました。一人でも多くの市民にまつりに参加してもらおうということで、私は福生音頭をプロデュースしたんです。そして、いろいろ市の力もお借りし、全国から歌詞を募集しまして作ったんです。
市長 都はるみさんと杉良太郎さんで、すごい人が歌っているんですね。
坂本 すべてレコード会社に行ってやりました。当時新人の都はるみさんが歌っていますが、市の宝になるので、本当は美空ひばりさんに歌わせたかったんです。ただ、吹込み料が高く当時で10万円でした。予算を市が赤字で出せなかったので、苦心して、1万円の都はるみさんにした。
福生音頭の踊りは前進しかないのです。バックすると、前に進まないので。あれも苦心したんですね。ミス七夕、ミス東京パレードをしたりして、まつりは賑やかになりました。
島田 七夕まつりを始めた最初のころから、市民の人たちは皆が賛同して寄ってきて、賑やだったんですか。
坂本 賑やかだったけど、まつり自体は商店のまつりですから、市民が参加するチャンスは少なかったですね。だから、パレードなどをするのが一番良いなと思ったんです。さらに、市民のまつりの色彩を濃くすれば、まつりが長続きすると考えたのです。
島田 でも、商店のおまつりだったっていう感覚がわかないですね。
市長 私は子どもの時から、実家のそば屋の飾りの花を折らされていました。今はビニールですが、昔は紙だったんですよ。飾り付けの花は手で折るんですよ。飾り付けは昔の方が良かったってよく言われますね。今はなかなかそういう手作業でできないので、今はどちらかというと、市民まつりの方に移行してきているようなところがありますね。でも、基本的にはまだ商店街のおまつりというスタンスなんですよ。
内堀(智) 飾りが賑やかなのは銀座通りですね。
市長 銀座通りが今、元気なんです。昔は駅前通りの方がすごかった。もっと道路が狭かったから、飾り付けが密集するような感じになって。今は道が広がっているから、余計まばらな感じになって閑散としているように見えますね。

写真:太田泰之さん
太田泰之さん

太田 町会に属していると分かるんですけど、福生は七夕まつりの直前に八雲神社の夏の祭礼があるんですよね。両方携わっているのは結構きつくないですか。七夕は木曜からで、商工会青年部でいうと前日の水曜日から竹飾りの準備をしていて、水木金土日の5日間。その1週間前にお祭りがあるので、1週間前から準備し、ほとんど仕事と休みを投げ打ってやっている状況です。でも楽しいからやっている。うまく融合できないかなと。僕らが若い世代で町会に入っているのは、お祭りがきっかけだと思うんですよ。
内堀(博) そうですね。
太田 町会イコールお祭りであれば、夏の八雲神社の祭礼は、今は市民まつりというレベルじゃないですか。ほかの青梅や、府中の大國魂神社のくらやみ祭りなどをテレビで見ると、観客が大勢いる。そういうところだと、やっている方もまた、やる気が出て盛り上がる。七夕の山車神輿パレードはそういうところがあるから、今も多く参加してもらっていると思うんです。
八雲神社の祭礼でも宵宮の神社から出るだけじゃなくて、ブロックブロックで、集まってはいますが、それを福生市全体でできれば、それもまた福生の魅力につながると思います。
市長 どうやって手助けすればいいと思いますか。
太田 私の妻は本場の徳島に行くくらい阿波踊りが大好きで、結婚前は高円寺に住んでいました。高円寺の阿波踊りでは周りの大きな道を封鎖して2日間やっています。まちをあげてイベントにしていることで、一つの産業に発展するという見方をすれば、今の時点では難しいけれど、この立て続けにある二つの大きなお祭りを一つにつなげられればとも思っています。

地域のつながり

司会 先ほども町会・自治会の話が出ましたが、現在、町会・自治会の加入率は44.4パーセントで、地域のつながりというのが非常に希薄化してきているところがあります。町会・自治会に加入している方も、加入していない方も含めて今後地域の連携を進めるにあたりましては、どんなことが必要で、どういう風にすれば深まっていくでしょうか。
島田 子どもたちが声かけすることがすごく大事だと思うんです。登下校や散歩をしている時に、お年寄りに「こんにちは」「今日おばあちゃん寒いね」のひと言があることで、何らかの道が開けると思います。誰かが声をかけるのを誰かが見ていると、その人に興味を持って、それが次のアクションにつながると思うのですが。
内堀(博) 近所の人が散歩していると、挨拶はしますね。島田 しばらく会わなかったら、向こうから「このごろどうしていたの」ってないですか。
内堀(博) ありますね。そうすると会話が弾みますよね。
島田 子どもたちの「おはよう」「こんにちは」「おばあちゃん何しているの」とか、ちょっとした声かけが周りの人を動かすと思うんです。挨拶ってとても大事ですよね。
坂本 そうですね、いいですよ。

写真:島田しのぶさん
島田しのぶさん

島田 私は、そこがきっかけかと思って。どうですか。
太田 声かけをしない子どももいるかもしれないですけど、かけられない子どももいると思うんです。それは大人の方がそういう雰囲気を醸し出しているのかもしれない。子どもから見る大人はやっぱり怖いじゃないですか。声をかけてもらうような大人になることも同じように心がけないと。
市長 昔は核家族化が進んでいなかったから、おじいさん、おばあさんが一緒に住んでいましたよね。今改めて地域で子どもを育てるなんて言っていますが、昔は怖いおじいさんがいて、「何やっているんだ、お前!」なんて平気でよその子どもを叱っていましたからね。ちゃんとコミュニケーションが取れていたんですよね。
島田 町会・自治会加入率44.4パーセントをさらに伸ばすには、どうしたらいいのかっていうことになりますよね。
司会 そうですね。いろいろと町会・自治会長の皆様も努力されていまして、まずは町会・自治会を知ってもらおうということで、こんな活動をしていますということをホームページなどで発信しています。町会長協議会は、不動産業者の団体と協定を結び、加入促進に向けての連携も図っています。
市長 私は、中越沖地震の新潟県刈羽村に行って、パネルディスカッションもしましたが、一度あのような大災害を経験すると、町会・自治会の加入率は、80パーセントを超えるようです。大災害は絶対に起こって欲しくないけれども、結局は何が一番大事かというと、ご近所の底力が一番大事なんです。
太田 逆に聞きたいのですが、私の周りの若い世代は祭りがあるから町会に加入しているところがあります。昔は町会に加入する理由は、付き合いだったのですか。
市長 そうですね、冠婚葬祭での協力が大事だったんですよ。ほかにも、いろいろな要素があるとは思いますが、昔はさまざまな形で助け合っていた世の中だったんですね。町会総出で道普請をしたり。本当の協働は昔にあったのではないかと思います。

市制施行40周年を迎えて

司会 市に昇格するには人口5万人が条件です。福生市は、市制施行40周年を迎えますが、坂本さんに市になった当時のまちの様子を伺います。
坂本 40年前というのは、福生は町で人口が3万人ぐらいあったんです。市になりたいって声が多くて、当時の石川常太郎町長はなんとか市にしたいというので、一生懸命働きかけをしたんです。石川町長、三重県久居町の町長などが、国会まで陳情に行ったのです。そこで、議員立法、2年間の時限法で、3万人でも市になれますという法律ができたんです。この法では、東京で初めて福生が市になった。そして、続々と多摩地区で市が生まれた。最後に隣のあきる野市(当時・秋川市)が、ぎりぎりで市になったんです。
島田 当時を知っている人は、福生病院が駅から藪みたいなもので見えないし、信号もなかったって言っていました。
坂本 昔は「やなぎ通り」の木は全部柳で、周りは畑や原っぱでしたね。横田基地のジープが通ると、砂じんを上げたんですよ。今はハナミズキがたくさん植えてありますが、「やなぎ通り」の名称は残りました。また、多摩川の桜は市になる前ですよ、町議会議員がみんなで植えたんです。
司会 ほかにも、市になった時の思い出はありますか。
坂本 40年前に福生音頭を作ったもので、今度は市の歌を作れということになりまして、曲は団伊玖磨さんが作曲した。詞は「高校三年生」を作詞した丘灯至夫さんが作詞(補作)。私は丘さんと1時間ほど「こんな歌を作って欲しい」と話し合いをし、立派な歌ができたわけです。
どこの市も市の歌はあるが一度発表会が終わると、なかなか歌われない。この春、小学校の音楽祭で福生音頭を最後に歌ってくれた。そんな話を聞いて、市の歌は市制記念日だけで歌うのではなく、市の音楽祭があったら最後に市の歌を歌うなど、市の歌を国歌のように市民に歌ってもらいたい。成人式でも一番だけでもよいので、歌ってもらいたいと思います。
太田 市には市民憲章もありますよね。小平の青年会議所ではセレモニーの中で小平市の市民憲章を唱和しています。それって傍から見ていて、まちの目標というのか、スローガンで分かりやすいと思います。新しく加藤市長の「元気」を基にした市民憲章、例えば、「元気な子どもになりましょう」などという憲章を作ってもらいたいと思います。
内堀(智) 成人式の実行委員をしていて、福生の歌があることをまったく知りませんでした。小・中学校の音楽の授業で歌って、卒業式には、国歌も歌うが福生の歌も歌うようにしていった方がいいと思います。
市長 坂本さんには、「平和のつどい」で、ずっとコーディネートしていただいています。本当にありがたいことです。そして、昔の福生について語り継ぎたいことがたくさんありますので、それをお話していただいて、いずれ記録集としてまとめていきたいと考えています。その語りの中で、平和の大事さ、尊さといったものを市民の皆さんに感じて欲しいと願います。福生には横田基地があるので特にその想いが強く、私としては市民を、平和を守るそういう仕事をしていかなくてはいけないと改めて感じました。

「夢かなう市政」を

司会 そろそろ時間ですので、最後に皆様から、福生がこんなまちになって欲しいという希望がありましたら、一言ずつお願いします。

写真:内堀博美さん
内堀博美さん

内堀(博) 私は横のつながりがとても大事と思います。福生は都心に比べたらまだ平和ですが、防犯のためにも町会の加入率を上げるというか、町会の横のつながりがあった方がいいと思います。つながりのあるまちにして欲しいと思います。
内堀(智) さすが双子ですね、思ったことは同じで、私も町会の横のつながりを大事にしたいと思います。
あとは、小・中学校で福生を知る授業や、小学校のふっさっ子の広場での昔の遊びを授業にも取り入れれば、小さい子が興味を持つのではないかなと思うので、市と学校との連携をもう少し取ってもらいたいです。福生らしくなると思います。自分の子どもはぜひ福生で育てたいので、ぜひお願いします。
太田 ほかのまちよりは「自分のまちが、福生が好きだ」と言っている人の比率が多い気がします。その好きなものをもっと良くしていくにはどうしたらいいのかという話が今後の目標なのかなと。
また、イベントが多い福生ですが、もう一回見つめ直して、これからの福生、福生を好きな人が「これがあるから福生が好きなんだ」ってもっと言えるようなものを話し合っていければと思っています。
島田 私の世代は一番中核なところだと思うんです。子どものことも比較的分かりやすい。30代の方とも話がしやすい。ということは、どうやって伝えていったら上手くいくのかなということがものすごく大事なので、みんなの意見をよく聞いて、自分から発信し、誘導できるようにして、世代を越え共有してもらうことができるように頑張っていきたいと思います。
坂本 私はやはり、横田だけが売りものではなくて、芸術文化が豊かで、スポーツが盛んなまちづくりを願っています。
市長 今日は本当に楽しい時間を過ごさせていただいて、心から感謝申し上げます。何回もこういった話し合いを皆さんとしていけば、まちはどんどん変わっていくという想いを今日また強くさせていただきました。そして、皆さんがこの福生を愛しているということを感じさせていただきました。今日はありがとうございました。

写真:対談の様子
対談の様子

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