ふっさ市民写真リレー
市制施行50周年企画 毎号主役が交代!「ふっさ市民写真リレー」
広報ふっさに掲載した市制施行50周年企画「ふっさ市民写真リレー」の記事を、ホームページで詳しくご紹介します!
広報ふっさ4月15日号【リック吉村さん】
国道16号線沿い、熊川児童館のそばにあるボクシングジム「リングサイドフィットネスジム」から活気のある声が聞こえてきました。このジムの会長であるリック吉村さんは、福生市在住のボクシング元日本チャンピオンです。
米ニューヨーク州出身のリック吉村さんは、元プロボクサーのモハメド・アリに憧れてボクシングを始めました。米軍に所属しながらボクシングを続け、1989年に日本スーパーライト級チャンピオン、1992年には日本ライト級チャンピオンとなり、日本最多となる連続22回防衛記録を持ち、その防衛記録はいまだ破られていません。そんなリック吉村さんは、1992年に横田基地に転勤となったのに伴い、福生市民となりました。
子どものころから目標にしていた世界チャンピオン。2001年、ついにWBAライト級タイトルマッチに挑みましたが、結果はドロー。しかし、リック吉村さんは世界チャンピオンへの夢を捨てず、2003年の引退後、選手から指導者となり、自らの手でボクサーを育成することを決心します。
こうして、地元・福生市でジムを開いてボクシングを教えるという新たな挑戦に踏み出したリック吉村さん。しかし、それは決して簡単なことではありませんでした。ジム作りには時間も場所もお金も必要であり、リック吉村さんは、物件探しから施設内の準備、駅前のチラシ配りまで、一からひとりで行いました。
そして、2013年に念願のジム「リングサイドフィットネスジム」が完成しました。ジムには少しずつ練習生が増え、またリック吉村さんを慕って選手も集まりました。
ジム設立から5年が経つと、本気でボクシングに打ち込み、プロに挑戦したいという選手が増えてきました。プロボクサーを育成するためには、日本プロボクシング協会(JPBA)に加盟しなければならず、プロ加盟には多くの資金が必要となります。
そこで、リック吉村さんはまた新たなチャレンジをします。クラウドファンディングを使って資金を集め、プロボクサーを志す子どもたちの夢を応援してくれる仲間を募ることでした。
結果、多くの人々がリック吉村さんの思いに共感し、目標を100万円以上上回る400万円の支援金が集まり、2018年に念願のプロ加盟を果たしました。
常にあきらめない心を持ち、多くの挑戦をしてきたリック吉村さん。彼の今の夢は「自分のジムから世界チャンピオンを輩出すること」そして、「地元・福生に恩返しすること」。
現在、リングサイドフィットネスジムには3人のプロボクサーが所属しており、日々鍛錬に励んでいます。
また、本ジムではボクシングのほかにもズンバエクササイズやパーソナルトレーニングなど、多岐に渡ったメニューがあり、子どもから高齢の方、日本人から外国人まで多くの方が練習生として通っています。
福生市民でもあるリック吉村さん。福生の好きなところは「多国籍の人々が共生し、多文化に触れられるところ」。
これからもリック吉村さんは、選手の夢のため、そして地元・福生のために日々挑戦し続けます!
リングサイドフィットネスジムのYouTubeチャンネル絶賛稼働中!
広報ふっさ4月1日号【石川好男さん】
4月を迎え、新年度初の市民写真リレーでご紹介させていただくのは、福生市の「人権擁護委員」をされている石川好男さんです。
地域の方の人権相談を受け、問題解決のお手伝いをしたり、地域の皆さんに人権について関心を持ってもらえるような啓発活動を行うなどの人権擁護委員の仕事を、17年に渡り務められている石川さんは、その功績が評価され、平成27年に「法務大臣表彰」を受賞されています。
「人権相談と言っても、隣人トラブルからお金の問題まで、いわゆる『よろず相談』のようなもので、相談者の話を『聞く』ことが一番大事です。話を親身に聞くことで、相談者は喜んで帰られることが多く、それを大切にしています。長く活動してきた中で、印象に残った事は、委員をはじめたばかりのころに、当時の市長から言われた『相談に来る方は解決のお手伝いができるが、来ない方がいることが一番怖い』という言葉でした。相談に来ていただければ、100%とはいかないにしても解決に向かうことができますが、心の中で留めてしまっている方がもし多くいたら、その状況は良い状況とは言えません。だから、相談が少ないことが必ずしも良いというものではないんです」
福生で生まれ、小さいころから走ることが大好きだった石川さんは、中学時代に陸上競技の長距離走を始め、高校時代には全国インターハイに出場するなど、数々の成績をおさめてきました。なんと、大学時代には、早稲田大学の代表として箱根駅伝に3度も出場しています。そして、1964年の前東京オリンピック大会の際は、23人の聖火リレーランナーの中で副走者として選ばれ、当時の福生町を駆け抜けたご経験をお持ちです!
「子どものころは、よく滝山城址まで行って遊んだり、福生の田園地帯が文字通り田んぼだらけのころに、稲刈り後の柔らかい土壌の田んぼを練習場として走ったりしていました」とランナーとしてのルーツを語ってくれた石川さん。「特に地元の田園地帯は、遊び場であり、練習場であり、きれいなレンゲ畑があったりと、たくさんの良い思い出があり、今でも福生の大好きな場所です」と語る石川さんからは、福生への郷土愛、そして人権擁護委員を通じた福生市民への愛が伝わってきました。
広報ふっさ3月15日号【原恭子さん】
市内のマルミ運動具店の店内から、毎週水曜日にYouTubeラジオの生放送番組を配信している「radio234(ニイサンヨン)」。その発起人であり代表者が、同店で働く原恭子さんです。
初めは市外に勤めていましたが、地元福生の実家であるこのお店に入ることになった原さん。「radio234を初める一番のきっかけは、商店街の活動をするようになり、出会った仲間たちとイベントを行った時の楽しさでした。そして、その地元の情報を発信することで盛り上げていけたらなと思ったんです」
「ラジオをやろうと思った更なるきっかけは、『災害』なんです。東日本大震災の時、商店街仲間である居酒屋さんが昼にワンコインのお弁当を販売している情報を、その居酒屋さんのツイッターで知り買いに行ったのですが、そういったありがたい地域の情報発信はとても大切であることに気づきました。いざとなったら小さいコミュニティでみんなで助け合っていかなければならないんだと」
「元々はラジオ放送の知識はありませんでした。地元福生の友だちを通じて、更にその友だちの友だちという風につながっていき、ミュージシャンやアーティスト、音響設備の詳しい人などが仲間となり、本当にみんなのお蔭で今のネットワークできあがりました」と語る原さん率いるradio234は、MCの「Jura(ユラ)」さん(写真中央左)、「timiri toshi(チミリトシ)」さん(写真右)、「Hirokick(ヒロキック)」さん(写真左)と共に、毎週水曜日の午後3時からYouTubeラジオ番組「GO!GO!生福生」を精力的に放送しています。「この活動を通して地域とつながるコミュニティ放送局を開局することを一番の目標としています」と、将来展望を見据えた原さんのご活躍に、今後も大注目です!
radio234の「GO!GO!生福生」は、下記のURLからぜひ皆さんご覧ください!
広報ふっさ3月1日号【谷合真里奈さん】
福生七夕織姫コンテストは、立ち振る舞いや表現力、元気の良さなどで、福生七夕織姫にふさわしい女性を選出する福生七夕まつりの一大イベント。谷合真里奈さんは、昨年の第69回福生七夕まつりで開催された「第17回福生七夕織姫コンテスト」で見事グランプリを受賞しました。
「小さいころから毎年七夕織姫コンテストをやっているのを見て、舞台に立つ女性のきらきらした姿に憧れていました。ただ、自分が出場するのはなかなか勇気が出せず、たくさんの人たちの前に出るのも恥ずかしいと思っていました。私は町会でお囃子を小さいころからやっていて、そのお囃子の仲間たちが『七夕織姫コンテスト出てみなよ!』とずっと声をかけてもらっていました。そして、昨年は25歳という節目の年を迎えるというのもあり、『チャレンジしてみよう!』と思い立ち、応募することを決心しました。」
福生七夕織姫コンテストでは、候補者が自分の特技を各々披露してアピールする時間が設けられます。谷合さんが披露したのは、福生七夕織姫コンテストにかける自らの強い思いを込めたスピーチでした。
「私はこれといった特技がなかったので、スピーチで挑みました。『小さいころからお囃子をやっていて、福生のお祭りが好きなことや、横田基地の友好祭にも毎年遊びに行っていて、福生市の異文化交流ができるところがとても好きで、そのような福生の魅力を私が七夕織姫として伝えていきたい』と熱意を伝えました。本番前、控室ではほかの候補者が本番の特技発表に向けて練習する中、私は落ち着いて過ごしていました。勢いで出場を決めたのもあり、『やるしかない!』と思っていましたね。」
今まで人前に立つ機会がなく、本番は緊張したという谷合さん。それでも堂々と舞台に立ち、見事グランプリに選ばれました。
「グランプリの発表で私の名前が呼ばれたときは、本当に信じられない気持ちでいっぱいでした。応援に来てくれた母も喜んでくれましたし、お囃子仲間の皆さんが、自分が報告する前に結果を知ってくれていて『おめでとう』と言ってもらえて嬉しかったです。最初はコンテスト出場に反対していた父も天狗になっていました(笑)」
最後に、福生七夕織姫コンテストに出場するか迷っている女性に向けて、メッセージを伺いました。
「私も長い間勇気を出せずにいましたが、いざ応募して舞台に立ってみると『やってやる!』と勇気がわいてきたし、たくさんの人たちの前で話す機会も普段ないので、これを機に出場してみたらきっと楽しい思い出になると思います。自分を変えるきっかけにもなると思うので、迷っている方はぜひ自信を持って応募してみてください!」
グランプリになると、市の観光PR大使「福生七夕織姫」として、市内外のさまざまな催しやイベントのPR事業に携わります。今年の福生七夕まつりは70回目を迎える節目の年。一緒に福生市を盛り上げてくれる方の応募をお待ちしています!
広報ふっさ2月15日号【相羽吉男さん】
35歳以上の陸上競技選手が世界中から一堂に集まる夢の大舞台「世界マスターズ陸上競技選手権大会」。
市内在住の相羽吉男さん(71歳)は、2018年9月にスペイン・マラガで開催されたこの「世界マスターズ陸上」に出場し、「4人×100mリレー」・「4人×400mリレー」での2つの金メダルを含む、4つのメダルを獲得しました。
年齢を感じさせないパフォーマンスを続ける相羽さん。子どものころから走ることが得意だったこともあり、45歳のときに市内の総合体育大会に出場したことがきっかけで本格的に陸上の道へ。その後、数々の国内大会で活躍し、過去に2度「世界マスターズ陸上」に出場するも惜しくも金メダルを逃し、3度目の出場で悲願の表彰台の頂点に立ちました。
世界マスターズ陸上を振り返ってみてもらうと、
「まず、日本の大会と異なり会場の熱気がすごいです。観客の盛り上がり方が日本のそれとは全く異なるので、選手たちも気合が入ります。また、試合後は、交流の輪が広がることも『世界マスターズ陸上』の魅力です。今ではオーストラリアの選手と互いの近況報告のために、クリスマスカードと年賀状を使って、新年の挨拶を楽しんでいます。」と、世界という大舞台の迫力と今でも続くライバルたちとの親交を嬉しそうに語ってもらいました。
また、アスリートとして大切にしていることを伺うと、
「ある程度の年齢になれば、かつてのトップアスリートたちにも勝てるのではないだろうか、と考えたことから始めた陸上競技ですが、体調管理をしっかりしながら、トレーニングを続けていくことで少しずつ力を伸ばし、気づいたら国内の大会で結果を残せるほどになっていました。今振り返ってみると、何かを始めることに年齢は関係ないですし、何でもいいので『目標を持つ』ことが大切だと思います。」
目標を持つことの重要性を語る相羽さん、その言葉通り、本人はすでに未来の大会を見据えていました。
「2018年の世界マスターズ陸上は、リレー種目で金メダルを獲得できましたが、個人種目では、まだまだ自分より速い日本人や海外のライバルたちがいます。彼らより速く走るためにも、トレーニングを重ねて、今年カナダ・トロントで開催される次の「世界マスターズ陸上」につなげたいですね。
こう語る言葉通り、相羽さんは令和元年9月13日から16日に群馬県・前橋市の正田醤油スタジアム群馬で開催された「第40回記念国際・全日本マスターズ陸上競技選手権大会」でも、M70の部の100メートル、200メートルで見事優勝。
300メートルハードルでは3位に輝いたほか、100メートルでは9年ぶり、200メートルは4年ぶりの日本一を奪還されました。
市制50周年を迎える今年、相羽さんを始め、市内多くのアスリートが全国・世界を舞台に大きく躍動しようとしています!
広報ふっさ2月1日号【西村祐紀さん】
西村祐紀さんは、平成22年から始まった福生市、守山市(滋賀県)、登別市(北海道)の3市間による2年間の職員派遣制度の一環により、平成30年春に守山市から福生市へ派遣されました。
現在はシティーセールス推進課で福生市のPR事業に携わっています。
「福生市に派遣されると決まったときは、正直読み方も知らなかった土地だったのでイメージがわきませんでした。でも実際に来てみると、守山市の田んぼが広がるのどかな田園都市とはまた違った、住宅街が多くて都市整備がきちんとされているきれいな街だなと感じました。」
昨年度は訪日外国人向けの多言語対応した市の観光ガイドマップ「福生 in Tokyo」の新規作成や、さくらまつり、七夕まつりなどのお祭りの運営を担当するなど、忙しい日々を送っていた西村さん。
「お祭りの運営の仕事でつらかったのは、七夕まつりの市内中につるす七夕飾りの飾りつけです。朝から晩まで、大きな七夕飾りを上げたり、一日3万歩歩いたり...体力的にきつかったですが、無事に終わってほっとしました。新規作成を手掛けた『福生 in Tokyo』は、まっぷるで有名な昭文社さんとのタイアップで作ることができ、自分たちの作りたいものを色濃く反映できて良かったです。」
福生市での派遣も残り約2か月。3月末に開催されるさくらまつりまで全力で駆け抜けます!
守山市も今年7月1日に市制施行50周年を迎えます。その記念事業のプレイベント「灯りでつなぐ、守山2019」では、市内で一番高い中洲小学校のメタセコイアの木(約29m)に「夢」や「希望」が書かれたメッセージカード5万枚を飾り付け、その展示数でギネス世界記録に挑戦しました。そのメッセージカードは福生市の小学生も協力して書かれたものもあります!
今後も市制施行50周年に向けて、福生市と守山市は互いにまちを盛り上げていきます!
広報ふっさ1月15日号【高田ヒロ子さん】
高田ヒロ子さんは、市内にある加美平保育園の園長先生です。鹿児島県のご出身で、ご結婚を機に福生市へ来られてから保育士をはじめたという高田園長。その保育士歴は47年で、うち園長歴が30年というご経歴をお持ちです。
その偉大な功労が称えられ、昨年11 月には日本の勲章である令和元年秋の叙勲「瑞宝双光章(ずいほうそうこうしょう)」を受章されました。
「長く続けてきた中では、苦しい時もありましたが、小さかった園児が親となり、今度はその親の子どもを園児として預かるということが度々あります。このような出会いの繰り返しから、子どもの成長を感じられることがやりがいであり、長く続けられた理由の一つです。」と高田園長。温厚な人柄で、ご自身が園長を務める加美平保育園の子どもたちや保護者だけでなく、近隣の保育園の園長や保育士などからも人望が厚い園長先生です。
広報ふっさ1月4日号【宮寺菜々子さん】
市制施行50周年企画「ふっさ市民写真リレー」の記念すべき第1回目は、宮寺菜々子さんをご紹介します。宮寺さんは、今回市制施行50周年記念ロゴマークをデザインした現役の高校生で、美術部に所属し週5回のペースで絵画の制作などに励んでいます。
正式ロゴマークの本デザインは、都立福生高等学校の美術部から出された3案の中から、市内小・中学校(全10校)の児童・生徒たちによる投票によって決定しました!
「デザインを作るのに20から30パターンを考えました」と語る宮寺さんは、中学時代は運動部に所属しており、高校から美術を始めたとのこと。「今は美術が大好きです」と、多くの仲間たちと一緒に美術部の活動を楽しんでいました。
また、今回取材させていただいた都立福生高等学校も、来年創立50周年を迎えるとのことです。福生市とともに記念すべき50周年をお互い盛り上げていきましょう!
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